2017年8月4日金曜日

アセンション(次元上昇)とは何か?


こんにちわ。それにしても暑いですね!皆さんお元気ですか?今日は次元上昇という問題に対して、わかり易い例を挙げて、そしてそれをどういう風に解釈して実践するかを述べたいと思いますので、ぜひ最後までご覧下さい。


■ 0次元と1次元の世界の差とは何?

0次元は「点」です。その世界には距離という概念は有りません。従って0次元の人が1次元の人を見る場合。1次元の人がA点からB点に移動してから又、Aに戻ってきた時、一瞬で消えて再び現れた と見ます。

■ 1次元と2次元の世界の差とは何?

1次元の人達がAからBへ移動しています。2次元の人は、混雑しているので、一旦、列から離れて横から人々の行列を、追い越します。1次元の人々は、綱渡りのロープ上から2次元の人が、一瞬で消えて、列の前の方で再び現れた と見ます。一方、2次元の人は1次元の人が地上に描かれたラインの上で順序良く行列していると見ます。





■ 2次元と3次元の世界の差とは何?

又、1階に2次元の人で溢れています。3次元の人は混雑を避けるために、階段で2階へ上って、空いている2階のフロアから伝って1階に下ります。2次元の人は3次元の人が、一瞬で消えて再び現れた と見ます。超能力でいうテレポートとは実はこういう現象なのです。





■ 3次元と4次元の世界の差とは何?

又、次に3次元の人がドラマを演じています。ドラマには、ちゃんとした連続したストーリがあります。1話の次は2話と言う具合に。ドラマに嵌った4次元の人はレンタルビデオショップで3次元の人のドラマのDVDを全巻、最終話まで一気に、借りまくります。4次元の人はDVDを並べて最初は順序良く見ますが、2回目以降は、気に入った順番でランダムに見ます。このように3次元の人が、順序良く並ぶ時間の行列に4次元の人は自由に割り込みします。


■ 4次元の人とは

このように時空を超えた4次元の人の時間は順序良く並んでくれません。スタートもゴールもランダムです。因果、始終とは3次元の人の為の計測指標で、4次元の人にとっては、単に人生の遊具としてあります。では空間上、何処に存在するか不明で、時間をも超えていながら、なお且つ同一性がある人、それって誰何でしょうか?・・・・ずばりそれは「心」です。精神、意思、思考、意識の総称です。それに対して3次元の人は「体」です。3次元の人には空間(位置)と時間(始終があるから)が必要です。でもこの体と心は別者ではありません。心の粗雑で見える部分を体と呼び、身体の精妙で見えない部分が心と名付けているのです。元は一つの命です。命の側面を心と言ったり体と言ったりします。


■ ハイヤーセルフとは
自分より高次元な存在の自分自身、より根源的な自分をハイヤーセルフと言います。世界は高次の人、低次の人が混在して住んでいます。低次の人は空間や時間を越えて消えたり現れたりする高次の人に驚かされ放しです。驚き、怖れ、また憧れ、ワクワクして高次の人は低次の人を高次の世界に誘います。高次の人はさらに高次の人から学び導かれます。例えば身体にとって精神はある意味ハイヤーセルフです。精神にとって生命はハイヤーセルフです。(実は精神の中だけでも凄く階層がありますが)じゃぁ生命(真我)にとってのハイヤーセルフって誰?と言えばここで「神」が出てきます。生きとし生けるものの全てのハイヤーセルフの頂点は「神」、宇宙全体たった一つの存在です。それは森羅万象宇宙法界を動かし、変化せしめている何らかの「力」エネルギー。それを覚り実際に体現された方が「仏陀」、それの我々個々の可能性が「仏性」です。「如来秘密神通之力」云々




■ アセンションと成仏

地球成仏の時代近年ニューエイジ達はアセンション2012年とかフォットンベルトとか大騒ぎしていますが、元々アセンションの語源はキリスト尊者様が昇天されることから由来しています。本来のアセンション(次元上昇)の仕組みは以上のようなものです。高次な人は仏陀と呼び、アセンションとは成仏(仏身を成就する)のことなのです。地球の次元上昇を考える場合、地球も生きていますから「ガイアとしての成仏」とも考えられますし、そこに住む生命たちにとっては「仏国土世間」「草木成仏」として浄化されることになります。また時系列的にもこの一生の間、生きてる間にアセンションを果たす方を「即身成仏」されたと呼びます。別にミイラになるわけじゃありません。

■ アセンション準備と疑似体験

死ねば成仏すると言われていますが、実はその通りです。死自体はある意味本来アセンションです。現に昆虫は卵から幼虫へ、幼虫から蛹へ、蛹から成虫へと現世アセンションしています。それらの節目は全て死です。死がアセンションだという意味について正確に言えはアセンションの最大チャンスです。ところが殆どの人はそのチャンスをみすみす逃しています。何故か?3次元にどっぷり浸かり過ぎて、しがらみを手放しきれず、執着起して輪廻転生してしまうからです。貧しきは幸いなりとはこのことなのです。ですから仏教徒には、その執着を離れる為に、死んですぐ(耳は最後まで生きていますから)僧侶が枕経を唱えてくれます(バルド・トエ・ドル・チェンモの技法)。ですからアセンションを目論む諸兄には「臨終只今なり」というアセンション意識が最も重要です。実際に死に臨んだ場合、一喜一憂取り乱さず、目の前の眩い光りを信頼するべきです。ではこの感覚を生前どう養うかを次回にお話します。